白保のサンゴを守った天然太もずく 真南風(1)

2005年3月3週号

 

白保のサンゴを守った天然太もずく

 (有)真南風は、沖縄の島々からパイナップルなど農作物や、もずくなどの海産物を私達に届けてくれています。これらの活動をシリーズでご紹介していく予定です。
 1995年、(有)真南風は魚住けいさんら、女性達ばかりで設立しました。そのキーワードは「島にいのち孕ませる」です。琉球孤のいのち、自然、くらしに深い目差しをもったその活動に、多くの漁民、農民、女性達が励まされてきました。
 魚住けいさんは、20才の時、名古屋ベ平連を結成、その活動で知り合った沖縄の人と結婚して沖縄へ移住しました。1983年に空港問題で危機に瀕していた石垣島白保のサンゴ礁を訪れ、その海を守るため、「海と女たちの会」の活動を始めました。
 そして1984年、孤立していた白保の住民を応援し、サンゴの海を守るため、白保の天然太もずくを扱う活動を始められたのです。
 この天然もずくの活動に私(代表)が出会ったのは、熱帯雨林を守る活動などをしていた「地球の友」のメンバーであった鈴木マギーさんから、世界的にも貴重な白保のサンゴ礁を空港建設から守って欲しいと、この天然もずくの活動を紹介された事からでした。

 私が1986年に全国の市民運動のサミットとして、豪華客船ニューユートピア号で、約250団体500数十人を乗せて白保のサンゴ礁に立ち寄った「ばななぼうと」のきっかけの一つが、この天然もずくの活動だったのです。
 「ばななぼうと」は、白保のサンゴを守る活動の全国化に大いに寄与しました。農、漁業など一次産業と消費者運動が提携した島おこしで、巨大乱開発から琉球孤のいのち、自然、くらしを守ろうというテーマは、真南風の設立など多くの試みのきっかけとなりました。
 魚住けいさんが始めた白保の天然もずくの活動は、白保のサンゴ礁を守っただけではなく、その後の琉球孤や第三世界を守る活動へと繋がってきています。しかし残念な事に、昨年2004年に魚住けいさんはまだ58才で永眠なさいました。
 魚住けいさんの志は、真南風の現代表夏目ちえさんに受け継がれました。夏目さんは白保のサンゴを守る運動で魚住さんと出会いました。

真南風の白保天然島もずく
 かつて石垣島空港建設予定地だった白保には世界的に珍しい規模で青珊瑚が広がっています。空港建設によって埋められたり、赤土が海に流される事になれば、その珊瑚も魚介類も取り返しのつかない打撃を受けてしまうというのが、空港反対、白保のサンゴ礁保護活動の理由でした。 
 魚住けいさんが白保の住民の運動を支援するために始めた天然もずくの活動は、単なる資金集めに終わらず、その運動そのものを広げ、大きな世論を作り上げました。そして、ついに空港計画を撤回させる事に成功しました。しかし、油断はまだできません。次から次へと空港建設派は別の計画を打ち出そうとしているからです。
 白保の天然島もずくは、今なお沖縄の海を守り続ける役割を果たし続けています。また、沖縄の産物の流通を手がけ沖縄の人々の暮らしや文化をも守りたいという、真南風の活動のシンボルであり続けています。
 もずくは食べて大変美味しい海藻です。特に天然もずくのヌメリ、歯応え、栄養価は養殖もずくの比ではありません。沖縄産のもずくの99%は養殖ものです。
 ワカメ以上にミネラルが豊富です。納豆やコーボンと一緒に摂取する事により、人間の免疫や健康に大変重要な役割を果たしている小腸の環境を調える事に役立ちます。また、もずくには抗腫瘍作用と抗コレステロール作用を持つフコイダンが多量に含まれています。
 この天然もずくは、1972年沖縄の日本復帰以降、無秩序な土地開発による赤土流出などにより、年々採れる海域が狭まり、今では沖縄の限られた海域でしか採れなくなった大変貴重なものです。
 真南風の天然もずく事業は顔の見える提携関係のもとで、安定した取引が実現しています。販路さえあれば、養殖もずくの脇に追いやられていた天然ものを取った方がよいと、漁師さん達は語っています。
 天然もずくを再認識する事で、漁師さん自身にとって海を守り育てる意識が育つといいます。
 先人達の培ってきた海の歴史、風土、文化を今一度、海の仕事として再生する事に、この流通が繋がっています。消費者もこの天然もずくを通して、沖縄の珊瑚が育んだ美しい海に思いを馳せて欲しいものです。天然もずくを食べて、自分と海の健康を守りましょう。

           -文責 西川栄郎-

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